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日光 金谷ホテル
Nikko Kanaya hotel
1873.6-
栃木県 日光市上鉢石町1300

http://www.kanayahotel.co.jp/nkh/index.html
 金谷ホテルのホテルラベルを見るとき、右のラベルと左のラベルが代表的なもので、1960年代からは両方のラベルをお部屋に置いていたということです。右のホテルラベルはそれほど大きなものではなく、左のタグラベルは大きく立派なものです。エンボスの仕上がりは秀逸なものといえます。同時期と思われる中禅寺金谷ホテルも同様のエンボス加工されたラベルがありました。コスト面でしょうか、今日ではこのような手の凝ったものが作られないのは残念です。
 ホテルの歴史に関しては金谷ホテルのHPに略歴が記載されていますので、そちらもご覧になっていただければよいと思います。

 日本ホテル略史で初めに登場する金谷ホテル関連のものは、
「明治六年(1873)六月日光東照宮の楽人金谷善一郎米人ドクトル・ヘツボーン(A・C・HEPBURN)の指導により夏期中田母澤御用邸近くの四軒町にありし自宅及隣の家屋を借り集め避暑地カッテイジ・インを開業す。」とあります。明治四年に訪れたヘボン博士がきっかけで始まった外国人への貸家が金谷ホテルの始まりとなりました。金持ちになって外国人専用のホテルをもちたいという善一郎氏の努力は明治25年に結実しました。今日の場所上鉢石町にあった未完成の三角ホテルの建物を買い取り金谷ホテルと命名して開業したのは明治25年12月のことでした。
 明治末期から大正、昭和初期にかけて金谷ホテルは発展期をむかえます。国内外からの貴賓客が相次ぎ、それに会わせてホテルもサービスや施設を充実させていきました。
 今も残るレジスターブックには、ヘボン博士、金谷カテージインを紹介した英国のイザベラ・バード女史、ノーベル賞受賞決定後に来日したアインシュタイン、ヘレンケラーなど、多くの著名人のサインが残されています。
 明治39年に来日したイリギスのコンノート公の宿泊のご縁からかガーター勲章のイメージを取り入れたロゴマークは古い食器に使われており、その頃と思われるホテルラベルにもデザインがされてきました。
 終戦後は他のホテル同様に進駐軍に接収され、保養所として利用されました。その間と思われるラベルには明るい色使いで右のラベルを模して作成されました。戦後それらを継承せず、それ以前のものに戻ってしまったのは正直残念ではあります。その時点で変っていたらまた新たなスタイルのラベルが登場したのではと思うからです。
 現在金谷ホテルの資料室に提供したラベルパネルが展示してあります。現地に赴いて歴史ある建物と雰囲気を味わってその他のラベルを見て歴史の流れを感じていただきたいと思います。とかくに忘れられてきたホテルのラベルが多くのホテルの存在やその歴史を感じる手段として見直される時期が来たと感じます。その他のホテルの古いラベルパネルも提供してあります。それらを見に私も近いうちに伺いたいと思っています。


 金谷ホテルのホテルラベルは上のように同じ神橋をデザインしたものが長い年月使われてきていました。印刷年代によって、その色合い、図柄が微妙に異なっていますが、マッチラベルにも同様の柄を使用していました。これらの代表的なデザイン以外にも丸型のラベルが古い時代に使用されていました。
 また接収中にも色鮮やかな上記に似たラベルも作られていました。
 雄大でエンボスの効いた金谷ホテルのタグラベル。私は日本のタグラベルの中で最も優れたものとして推奨したい。デザインのシンプルさもあるが、このエンボスが格調を高めるものとなっており、ラベルコレクターでは必ず持つべき一枚といえます。現在は残念ならが下のように、ホテルラベルのデザインを取り入れた普通のラベルになってしまった。
 左の小冊子はいつの物か不明です。英語で書かれており、主に日光の周辺の観光紹介となっています。年代の手がかりになるのは、裏表紙に記載されている
4 1/2 HOURS BY RAIL FROM TOKIOあるいは、富士屋ホテルの紹介もあり、こちらは FOUR HOURS FROM YOKOHAMAとあります。時間の長さから明治後半から大正にかけてのものではないでしょうか。(1931年の日光のパンフレットでは、上野からのアクセスが express 2 2/3 hours,ordinary 3 1/2hoursとなっています)僅かに記載された値段から探ってもう少し明確な年代がわかればと思っています。
 下には幾つかのパンフレットやメニューを紹介します。長い年月の間では多くのパンフレットが発行されてきたでしょうが、生憎あまり見かけません。日光という場所柄、金谷ホテルだけというよりも、日光を紹介するものは多く見られます。矢張り日光の目的は東照宮ですからね。
 ともあれ、それぞれのパンフレットの時代にもホテルラベルがあったのでしょう。どれがその時に配られたのか、わからないのが残念です。
1956年 現在の金谷ホテルガイド


 1955年のメニューカード
右にその内容をご紹介します。